協会会員大黒屋光太夫顕彰会
名称 | 大黒屋光太夫顕彰会 |
住所 | 〒513-0224 三重県鈴鹿市若松中一丁目1番8号(大黒屋光太夫記念館内) |
電話番号 | 059-385-1589 |
FAX番号 | 059-385-3797 |
交通機関 | 近鉄名古屋線 伊勢若松駅から南へ1.1キロ、近鉄名古屋線 千代崎駅から北へ1.2キロ、近鉄名古屋線 白子駅からタクシーで15分 |
駐車場 | あり(無料) |
時間 | 10:00~16:00 |
定休日 | 月曜日・火曜日・第三水曜日 |
※2022年01月29日時点の情報です。掲載内容等が変更されている場合がありますので、お出かけの際は問い合わせ先にご確認ください。
詳細情報
開国曙光の人「大黒屋光太夫」のあらまし
宝暦元年(1751年)若松村(現在の鈴鹿市東若松)の亀屋に生まれ、後に大黒屋に婿養子で入り沖船頭職を継ぐ。天明2年(1782年)廻米や木綿等を積んだ神昌丸(光太夫はじめ乗組員17人)が、白子湊から江戸に向かう途中、暴風雨に遭いロシア領のアムチトカ島に流される。
飢餓と酷寒で次々と仲間を失いながらもロシア人の助けを受けて都ペテルブルグに上り、女帝エカテリーナⅡ世に拝謁して帰国許可を得る。寛政4年(1792年)、10年ぶりに光太夫と磯吉、小市(根室で死亡)が帰国を果たす。
鎖国下でロシア事情を紹介し、国際交流の先駆者となった光太夫は、文政11年(1828年)江戸で没(78歳)江戸本郷の興安寺に葬られた。
大黒屋光太夫顕彰会について
当会は、大黒屋光太夫及び神昌丸乗組員の偉業とそれをなしえた強靭な心身を学ぶとともに、これを普及、伝承して郷土愛を醸成し健全な地域社会の発展に貢献すると共に、国際交流に寄与することを会の目的とする。
その具現化に向けて、史実・偉業の研鑽、刊行物の発刊、関係する史跡・記念碑・古文書の管理、語り部・出前講座講師の派遣などを行っている。
当会の趣旨に賛同いただき、年会費(1口:1,000円以上)にて入会登録させていただきます。
特典は、刊行物や語り部、出前講師の派遣、行事案内等を無料でおこないます。